サブタイトル:「新・自虐の詩」を最後まで読んだけど未だに面白く読める読み方がつかめていない
- 【最終回】業田良家「新・自虐の詩」
- 先月号で感じた気持ち悪さは,ジャンヌダルクのごとく人々を導く小雪の姿を見て吹き飛んだ。小雪を作った拓郎母の「人間はいらなくなる」の言葉からも読み取れるように,そもそも小雪は人間を超えた存在として描かれようとしていたわけだ。
- だけど,それでも,ロボット(ここでは小雪)が美しい心を持ったが故に「人間はいらなくなる」としている部分だけは理解できない。先月号で言ったことの繰り返しになるが,ロボットは人間が作り出した存在であり,それ単独で存在できるものではない。人の心を持った小雪ですら「本来の人間」程度の存在に過ぎないはず。
- ロボットが人間を超えた存在になるには,ロボットは人間ができることに加えて「人間にはできない何か」ができなければならないはず。さらに,その姿が説得力をもつためには,作品内で「人間にはできない何か」がリアリティをもって描かれなければならない。
- 小雪はどうだったか。確かに彼女は人間が為し得ないことをやってきたが,その過程には全くと言っていいほどリアリティが感じられなかった。少なくとも私には。
- 小雪は厳しい警備をかいくぐり,単身「向こう岸」に乗り込んだ。単身で並みいる警備をねじふせ,貧しい人々を解放へと導いた。コンピュータを駆使し,富める者たちの不正を暴こうとした。
- だがその描写はどうか。「向こう岸」へ渡る直前の4コマでアクション映画を見ただけで,小雪は警備をかいくぐるアクションを身につけてしまった。単身で立ち向かうなんて,人質を取られたら瞬く間に動きを封じられるはずなのに。「世界の銀行のコンピュータシステムに侵入」? いつの間に,どこから,どのようにして? こういったディテールは作中で全くと言っていいほど描かれていない。
- 小雪の振る舞いはまさに「機械仕掛けの神」と言えよう。本来の意味はもちろん,作中で「マリア様」と半ば神格化されているロボットの彼女にぴったりだとは思わないか。
- さて,上記の解釈は,作品から最大限の楽しみを引き出せていないという意味で「悪い」解釈である。「良い」解釈の手がかりとしては第二のテーマ「貧困と格差」が考えられそうだが,私の中では考えがまとまらず結論が出る段階にはない。それ以前にいつまでまとめようとする気力が残っているかどうか。日を改めて書かないかもしれない。
- 単行本は7月30日発売とのこと。
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