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竹書房『まんがくらぶ』2008年7月号

業田良家「新・自虐の詩」
次号最終回。あれこれ考えたけど,私の中ではこの作品の解釈は「小雪を作った者ですら予期していなかった,小雪の『人の心の芽生え』を描くことで,人間が人の心を失いつつあることを逆説的に描いている」というところに落ち着いた。
上で強調したように,今作ではロボットに芽生えた意思とロボットを作った人間の意思が異なる点が重要であり,この時点で「ロボですら人の心を持つのに人間は――」という解釈はさくっと却下される。ただ,このテーマと「現代社会の貧富」というテーマ,どちらが目的でどちらが手段かは,まだ議論の余地がありそう。
それでもなお残る違和感は,小雪が「マリア様」と称されていること。ロボットは人間が作り出した存在であり絶対的存在ではない。人の心を持った小雪ですら「本来の人間」程度の存在に過ぎないはず。にもかかわらず,神を連想させる呼称を用いている点が,端的に言って気持ち悪い。「マリア自身は神ではないのでこの解釈は穿ち過ぎ」と言われたらそれまでですが。

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コメント

#285: Re: 竹書房『まんがくらぶ』2008年7月号

  • MIYA
  • (URL)
  • 2008年06月18日
  • 02時29分
  • 編集
どうもです。

何か最近の「新・自虐の詩」が、4コマとして成り立っていないような気がしてならないのですが・・・。
僕がこんな風に思う理由としては、4コマの本質がギャグにあり、4コマ目には必ず何かしらの形で笑わせる(笑わせようとする)姿勢が必要だと考えているからです。
しかるに、この「新・自虐の詩」は、同じシリアス系4コマの「棺担ぎのクロ」や「花と泳ぐ」に比べても、圧倒的にギャグが少なすぎると思うのです。(というか最近はほぼ一切ギャグ無しですよね)
もちろんテーマがテーマですから、ギャグなんか挟めない、と言われればそれも分かります。でも、初めからあのシリアスな展開にいくことが決まっていたならば、何も4コマという形式を採って連載始めなくても・・・と思ってしまいます。(先ほど書いたとおり、4コマ=ギャグというのは中々否めないと思うので)

まあ、もちろんこう書くと「じゃあふたりごと自由帳の『グッバイ』や『春にして君を想う』は4コマとして成り立っているのか」という議論にはなってしまうのですが・・・。
管理人さんはどんな風にお考えですかね?

#286: Re: 竹書房『まんがくらぶ』2008年7月号

  • すいーとポテト
  • (URL)
  • 2008年06月19日
  • 08時18分
  • 編集
コメントありがとうございます。

まず,私は,4コマの本質は「4つのコマから成り立っていること」だと考えています。なので私から見れば,「新・自虐の詩」は4コマ漫画として明らかに成り立っています。

「4コマ=ギャグ」には直観的には同意するんですが,ちょっと考えを進めると,そうとは言えないかもしれないと思えてきます。

というのも,漫画全体における4コマ漫画というのは,文学における定型詩(和歌や漢詩など)という関係によく似てると思うんですね。そして,どちらも定型という制約が本質であり,その制約ゆえに凝らされた技巧にこそ特徴がある,と。

「ふたりごと~」,特に小坂氏の作品が面白いのは,その語りが「詩的なリズム」を持っている点です。同じことは「中央線モノローグ」や,カラスヤサトシ「おのぼり物語」にも言えます。

とり急ぎ,ここまで。

#288: Re: 竹書房『まんがくらぶ』2008年7月号

  • anonymous
  • (URL)
  • 2008年06月24日
  • 00時58分
  • 編集
お返事を求めておきながら、コメント遅くなってしまいすみません。

「4コマは定型詩によく似ている」というのは私も同感です。だからこそ、4コマには普通のストーリー漫画とは一線を画した面白さがある訳ですし。

「4コマの本質は4つのコマにより成り立っていること」というのも概ね分かるのですが、ちょっと一言だけ反論させていただくと「じゃあ、どんなストーリー漫画も(ドラゴンボールだろうがワンピースだろうが)縦に4コマずつコマ割りして書いていけば『4コマ漫画』になってしまうのではないか?」ということです。(実際そんなこと不可能なのは承知の上で、あえて書かせていただいてますが)

1回目のコメントで触れなかったのですが(説明長くなるし大変なので)最近「新・自虐の詩」を4コマとして見れない2つめの原因がこれです。
要は、4コマ目の本来落とすべきところが、あまりに次の1コマ目への繋ぎでしかないので、4コマを読んでるはずなのに、ストーリー漫画を読んでるのと大して変わらない気分になってしまうんですよね。
それはそれで勿論面白いのですが、4コマとして存在する意義は?というのは、やっぱり考えてしまいます。

ただ、小坂さんの作品については自分の中でちょっとずつですが整理できてきた気がします。
4コマ=必ずしもギャグでなくてもいいのかな・・・と、少し自分の中で考えが変わってきたり・・・。
あと、ちょっとしたことですが、小坂氏の漫画は「中央線モノローグ」ではなく「中央モノローグ線」ですね(^^;

#289: Re: 竹書房『まんがくらぶ』2008年7月号

  • すいーとポテト
  • (URL)
  • 2008年06月24日
  • 02時16分
  • 編集
えっと,anonymousさん=MIYAさんでしょうか? そうだとしてお返事します。かなり長いお返事になります。

まず先に一点。
> 小坂氏の漫画は「中央線モノローグ」ではなく「中央モノローグ線」
確かに間違えてました。ご指摘ありがとうございます。何事も書く前に正しいかどうか調べるクセをつけないとだめですね……。

ここからメインお返事です。いただいたコメントのおかげで私もだんだん整理できてきました。

MIYAさんがおっしゃりたいのは「『新・自虐の詩』は4コマという表現技法が持つ良さや特色を生かせていない」ということでしょうか。もしそうであれば,私もとりあえず同意します。

ただ,MIYAさんのコメントで私が気になったのはこの部分です。
> 4コマ目の本来落とすべきところが
これはいわゆる「起承転結(の結=オチをつける)」を指していると解釈したのですが,最近の私はこういった見解に若干懐疑的なんですね。

詩の技巧のひとつに「押韻」というものがあります。段末の発音をそろえる技巧ですね。これは詩にリズムを与えるための技巧です。

私は4コマ漫画の根底にもこういったリズムがあるはずだと考えています。そしてオチの有無ではなくリズムの有無を意識することで,より多くの4コマ作品を「読める」のではないか,とも。

この考えはちょっとやりすぎだと言われるかもしれないのでここでひっこめますが,控え目に言っても「4コマ目は『見せ』のコマだ」と思っています。読者に最も見せたい事柄こそ4コマ目に書かれるべき,という考えです。「見せ」は「オチ」を含んでいます。最近私はこの「キャラ見せ」という言葉をブログでもよく使うんですが,あれは4コマ目で示されているのがまさにキャラの性質だ,という意味です。

長くなりましたが,私が言いたいことは,「『新・自虐の詩』では,上述したリズムや『見せ』に,読者は乗り切れていないのではないか」ということです。

で,上で「とりあえず」としたのは,実は今までの連載をまとめて一気に読むと,こうしたリズムや見せが現れてくるんじゃないか,との思いがあってのことです。まだ最終回もありますし,即断は避けたいんですよね。

#292: Re: 竹書房『まんがくらぶ』2008年7月号

  • MIYA
  • (URL)
  • 2008年06月27日
  • 01時36分
  • 編集
うあ・・・前回名前入れ忘れてたみたいです。すみません。

ところで、僕が言いたかったのは、まさに管理人さんの言うとおり「新・自虐の詩は4コマの特性を活かせていない」ということです。それは何故なら、前も言った様に、(特に最近は)オチも無ければギャグも無く、あまりに既存の4コマとかけ離れていたからです。

しかし、僕は、当然のように「4コマの命はオチ=ギャグだ」と考えていたわけですが、なるほど「リズムが重要」と管理人さんは考えているわけですか・・・。
たしかにそう考えると「中央モノローグ線」や「ふたりごと自由帳」における「ギャグは無いが、4コマとしてきちんと成立しており、味わい深い」というのも分かる気がします。

「新・自虐の詩」については、たしかに今はリズムに乗り切れなくても、またコミックスで一気読みしたりすれば感想が変わってくるかもしれませんよね。色々な意味で異色作だったので、しっかりチェックしておきたいと思います。

お忙しい中、誠実なお返事ありがとうございました。

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