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生物学的〈異端〉ゆえのひよこときんぎょの親子ドラマ――楠美マユラ『お母さんは水の中』

楠見マユラ『お母さんは水の中』

卵パックの卵から孵った「ひよこ」。最初に見たのは――金魚鉢の中の「きんぎょ」? こうして、お母さんだと刷り込まれたきんぎょを慕うひよこと、その姿に絆されてお母さんのように振る舞うきんぎょの日常をフルカラーの4コマで描く。イースト・プレスの動物漫画誌『ハムスペ』およびそのリニューアルである『あにスペ』にて掲載された表題作を収録。元々は作者の同人作品であるが、単行本に同人誌原稿は収録されていない。なお、『あにスペ』自体は2009年9月に休刊している。

きんぎょが陸上を移動できたり、動物同士が言葉でコミュニケーションしたり、動物たちが道具を使いこなせたりと、絵本のような動物ファンタジー感にあふれた作品。フルカラーで描かれた絵のタッチもどこか絵本的で優しい印象。中でも描き下ろしショートの色鉛筆タッチの絵は特筆で、穏やかに流れる時間を感じさせてくれる。

キャラに目を向ければ、何よりもひよこが微笑ましく可愛い。きんぎょの後ろを屈託なくぴよぴよとついていくひよこの姿は本当の子供のよう。キャラが飛び出す壊れたピアノでは音楽よりもキャラを飛ばして遊んだり、公園ではポールの回りをグルグル回るだけで楽しめたりと、型にはまらずに遊ぶ姿にも子供ながらの想像力を感じる。一方、最初こそ「お母さんじゃない」と言うも、それからはひよこをいつも気にかけているきんぎょの姿は本当の母のよう。公園で出会う他人に戸惑う人見知りなひよこを、優しく諭して勇気づけるきんぎょの姿には、母性を感じずにはいられない。

そう、ひよこときんぎょは、生き物としては子と親ではないにも関わらず、まさに〈子〉と〈親〉である。これを強く感じさせてくれるのがエピソード『おやすみひよこ』である。このエピソードでは、ひよこは自身の下半身が魚のようになり、これで「ずっときんぎょと泳げ」ると、きんぎょと一緒に水の中を泳ぐ夢を見る。私はその言葉に、ひよこが親離れできない子であること、きんぎょとずっと一緒にいたいのだということを思う。そしてひよこの魚の下半身は、二匹が親と子であることの〈証〉だと見る。しかし現実には、ひよこの下半身は魚のようにはなり得ない。ひよこときんぎょの間には生き物としての壁があるのだから。だからこそ、それを夢に見るひよこに、私は「現実で叶わないのならばせめて夢で叶ってほしい」、そして「叶ってよかった」という、祈りと救いにも似た感情が芽生えるのだ。そして、救いの感情とともに、「現実には〈証〉がないけど、二匹は確かに〈子〉と〈親〉なんだ」という想いが、私の中であふれてくるのだ。

今作の面白さの源を小難しく言えば、生物学的な〈異端〉を受け入れている点にある。私はひよこときんぎょだけを見た思いつきでこのようなことを言っているわけではない。今作にはまた、ニワトリになれない「ひよこのおっさん」が登場する。彼は若き日にはロケットを飛ばす夢に向かっていたが、その途中にとある事情で挫折してしまい、以来「何年たってもわしはひよこのまま」だと言う。私には、彼がニワトリになれずにひよこのままであるのは、彼が確かにひよこであった若き日の心の傷をまだひきずっていること、そして、ニワトリは空を飛べないという事実を受け入れたくないことを、その体でもって示しているように思うのだ。そんなトラウマが見え隠れするひよこのおっさんの一言ひとことには、ある種の哀愁が感じられて、事あるごとにその裏側にあるだろうドラマを感じずにはいられないのだ。

きんぎょとひよこも、そしてひよこのおっさんも、生物学的な〈異端〉である。〈異端〉であるからこそ、〈正統〉との差異が強く意識され、そこにドラマが生まれる。そして、彼ら〈異端〉を拒絶することなく受け入れているからこそ、何気ない日常の中にドラマが生まれるのだ。こういったドラマツルギーは、日常を積み重ねることによりドラマを生み出すストーリー4コマのそれとは毛色が異なるように思う。言わば〈異端〉キャラの〈異端〉性そのものにドラマを見出すということだ。その意味で、今作のドラマツルギーはデータベース的であると言わざるを得ない。すなわち、ニワトリの親でなくきんぎょの親とひよこの子にはどんなドラマが生まれるか、ニワトリの体ではなくひよこの体を持ったおっさんではどうか、という順列・組合せと〈異端〉性の選択、そして選択されたものの解釈こそが、今作のドラマツルギーの根源ということだ。特に今作では前者が単純であるため、後者が優れていたと言えよう。そしてそれは、ありていに言えば「作者のセンス」というところになるのだろうか。いずれにせよ、4コマ漫画における方法論として、今作のドラマツルギーは特筆に値するだろう。

生物学的な〈異端〉ゆえに見出される、ひよこときんぎょの親子ドラマ。そして〈異端〉を受け入れることにより支えられている日常性。一風変わった、しかしどこか正統派であるような親子もの日常4コマとして読んで頂きたい作品である。

謝辞

献本を頂きましたイースト・プレスの小林様に深く感謝申し上げます。また、同人時代から今作を描き続けてきた作者、および今作を支え続けてきた他の読者の皆様、そして関係者の皆様にも、厚く感謝いたします。

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