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あなたの手は きっと あったかい ―― 「ちょこっとヒメ」における擬人化と意思疎通

カザマアヤミ『ちょこっとヒメ(7)』

カザマアヤミ「ちょこっとヒメ」が完結し、単行本最終巻の7巻が先日刊行された。『ガンガンWING 4コマエディション』掲載時から追い続けてきた読者としては、作品が終わってしまったことをさみしく思いつつも、作品が無事に完結したことをとても嬉しく思う。振り返ると、ここまでハマった漫画作品は生まれて初めてだったように思う。雑誌連載はスクラップし、単行本は三冊買い(最終巻まで複数買いを継続)、その単行本には付箋をつけて何度も読み返したことを覚えている。

作品が完結したこともあり、「ちょこっとヒメ」がどんな作品だったのかということを書き残しておきたいと考え、この記事を起こした。記事のベースは今年7月に開催された同人誌即売会「よんこまスケッチ2」にて頒布した同人誌『四文甘書 第三号』の内容であり、そこに若干の加筆と修正を加えた。同人誌を買って下さった方々には申し訳なく思うが、こうしてウェブに広く公開することで多くの方々に読んでいただきたいという私の想いを理解していただければありがたく思う。

素晴らしい作品を描き続けてきた作者および、作者とともにこの作品を世に送り出した担当編集の方々への感謝を込めて――。

(以下、続きに本文)

――

1. はじめに

「動物への愛が高じて偏った感じで表現してしまいました。」

これは単行本1巻あとがきでの作者の弁である。確かに本作は「偏っ」ていると言えなくもない。本作に登場する動物たちは、獣耳のついた姿として、擬人化されて描かれているのだから。

しかし本作では、そんな「偏っ」た表現の中に、作者の動物への愛が確かに描かれている。それは愛すべき動物たちを愛らしく描くこと、あるいは動物たちとともに暮らす楽しさを描くことだけに留まらず、真摯な飼い主ならばおそらく誰もが直面するであろう「人間と動物の意思疎通」というテーマにまでおよんでいる。そして作者は、前者のみならず後者についても、擬人化という手法によって描いているのである。

この記事では「ちょこっとヒメ」における人間と動物の意思疎通を、本作の擬人化手法をつぶさに見ていくことで読み解いていくことを目的とする。また、記事の終盤では、動物擬人化という点で関連する作品について言及する。

2. 「ちょこっとヒメ」における擬人化手法:ふたつの姿とふたつの〈目〉

本作の擬人化手法において重要な点はふたつある。ひとつは、動物たちは常には擬人化されて描かれていない点である。もうひとつは、作中に登場する人間たちは動物たちを擬人化された姿としては見ることができない点である。

2.1. 擬人化された姿と動物の姿の描き分け

本作では、動物たちは常には擬人化されて描かれていない。コマによって、動物たちは擬人化された姿としても、本来の動物の姿としても描かれている。読者にとって混乱しがちかもしれないこの手法は、図1の通り、ヒメが新しい家に飼われてくる第1話の1本目からさっそく用いられている。図の1コマ目で袋に入っている猫耳の女の子と、2コマ目で動き回る猫は、どちらも同じヒメである。読者はその事実を、彼女の心の声を表す放射線型のふたつのフキダシから読み取ることができるだろう。

図1. 擬人化された姿としても動物の姿としても描かれるヒメ(単行本1巻4ページ右2・3コマ目)

最初の一本からこのような描き分けがされていることからも、本作では動物たちの描き分けが重要な手法であることが伺える。事実、この描き分けはこの後も作中で常に用いられている。

2.2. 動物を擬人化された姿として見ることができる〈目〉とできない〈目〉

本作に登場する人間たちは、動物たちを擬人化された姿としては見ることができない。言いかえれば、人間たちは擬人化された動物たちを見ることができる〈目〉を持たない。ここではしろこの例を見てみよう。図2の1コマ目で自身を「美猫」と称するしろこは、確かにきらびやかな女の子として描かれている。しかし、次のコマの手前に並ぶ人間の女の子たちの目には、しろこは「美猫」とは程遠い「モッサリ」した猫としか映っていないことが読み取れる。

図2. しろこを「美猫」として見ることが見ることができない人間たち(単行本1巻35ページ右3・4コマ目)

一方で、本作に登場する動物たちは、自身を含めた動物たちを擬人化された姿としても見ることができる〈目〉を持っている。それは図2のしろこ自身および、これらのコマにおいてしろこの相手をしているヒメから読み取れる。

そして重要なのが、本作の読者は、擬人化された姿の動物を見ることができる〈目〉もできない〈目〉も、両方とも持ちうるということである。これらふたつの〈目〉は、次の章で述べる描き分けによって、コマ毎に切り替えられている。

2.3. 読者へのふたつの〈目〉の刷り込み

擬人化された姿と動物の姿の描き分け、そして擬人化された姿を見ることができる〈目〉とできない〈目〉。この両者は密接な関係にある。すなわち、本作ではふたつの〈目〉、言わば〈動物の目〉〈人間の目〉が、動物たちの姿が描き分けられることによって切り替えられているのである。

面白い例として、ヒメが風邪をひいて動物病院に行くエピソードを見てみよう。図3では、診察のために獣医の手によってお尻に体温計を突っ込まれるヒメが描かれる。1コマ目は〈動物の目〉から見えるヒメ、2コマ目は〈人間の目〉から見えるヒメである。さて、ここで2コマ目のヒメが〈動物の目〉から見えたら(=擬人化された姿として見えたら)どうなるか想像して欲しい。間違いなく一般誌には掲載できない光景になるだろう。2コマ目でヒメが猫の姿として描かれていることにより、読者はこのある種どぎつい場面を「動物あるあるネタ」として受け止めることができるのだ。このことから、動物の愛らしさと動物あるあるネタを共存させるためにも、動物たちの描き分けによるふたつの〈目〉を切り替えることが、本作において重要であることが伺える。

図3. 〈動物の目〉と〈人間の目〉の切り替え(単行本3巻100ページ左1・2コマ目)

このふたつの〈目〉を読者に無意識のうちに刷り込むために、本作では擬人化とともに用いられている手法がふたつある。ひとつは視点の高さの変化であり、もうひとつは〈動物の目〉が見るコマ内からの人間の目の排除である。

2.3.1. 視点の高さの変化

本作の視点は大きく分けて人間の高さと動物の高さのふたつが存在する。言うまでもなく、前者は主に〈人間の目〉が見た光景を描く際に、後者は〈動物の目〉が見た光景を描く際に用いられる。これ自体は取り立てて特殊な手法ではないので、ここで図を引くことは控える。単行本1巻をお持ちの方は26ページ右の一本をご覧いただければ分かるだろう。

2.3.2. 〈動物の目〉が見るコマ内からの人間の目の排除

〈動物の目〉が見るコマ内からの人間の目(カッコ書きでない)の排除については、ナベの姉にヒメが懐く場面を見ていただくのが分かりやすい。図4の1コマ目ではヒメが擬人化された姿として描かれ、同時にナベの姉の目はコマから見切れている。2コマ目も同様だが、こちらのナベの姉は読者に背中を向けている(=コマ内に目が決して映らない姿勢である)ことには注意すべきだろう。いずれにせよ、ヒメが擬人化されて描かれているコマにはナベの姉の目が描かれていないことが分かる。一方、図の3コマ目では、ヒメが猫の姿として描かれていると同時に、これまで見切れていたナベの姉の目がコマ内に描かれている。そして、ナベの姉の鼻の先に描かれた「何かに気づいた」ことを表す漫符と、続く4コマ目での彼女の言動から、3コマ目で描かれているヒメはナベの姉から見えるヒメであることが読み取れる。

図4. 〈動物の目〉が見るコマ内から排除されるナベの姉の目(単行本3巻16ページ左一本)

〈動物の目〉が見るコマ内から人間キャラの目が排除され、〈人間の目〉が見るコマには人間キャラの目が描かれることによって、読者は今読んでいるコマがどちらの〈目〉から見たコマなのかを混乱なく把握することができる。このようにして描かれる本作を読み進めるうちに、読者はふたつの〈目〉を無意識のうちに切り替えることができるようになる、と言っても、あながち間違いではないだろう。

3. 言葉による意思疎通の不可能性とスキンシップによる意思疎通

ここまで、本作における擬人化手法を精査した。擬人化された姿と動物の姿が描き分けられていること。擬人化された姿を見ることができる〈動物の目〉とできない〈人間の目〉が存在すること。ふたつの〈目〉の存在を読者に刷り込むために、擬人化手法とともに、視点の高さの変化と〈動物の目〉が見たコマ内からの人間キャラの目の排除というふたつの手法が用いられていること。以上が本作における擬人化手法の特徴である。

さて、本作において擬人化手法と並んで重要な点は、人間と動物は言葉によっては意思疎通できない点である。これは当たり前のようにも聞こえるが、動物が擬人化されて描かれる本作においては少なからぬ注意が必要であろう。動物が擬人化されて描かれていることで、読者が「動物が人間に近づいた」と受け止めるのは自然なことであり、注意しなければ「動物も人間と同じように人間の言葉を理解できる」と捉えられてしまう可能性がある。

本作では確かに、動物は人間の言葉を理解できず、人間もまた動物の言葉を理解できない。例として、ナベがヒメをお風呂で洗う場面を見てみよう。体を洗われることを嫌がっていたヒメだが、図5の直前でナベの不安を感じ取った彼女は、この図の1コマ目でナベに「かんばるよ」の言葉とともに我慢の決意を示す。しかし、ヒメの決意の言葉のフキダシに重なる「にゃー」から読み取れるように、ナベには彼女の言葉は猫の鳴き声としか聞こえていない。そして、ナベはヒメのこの言動を「嫌がっている」と受け取ったのか、2コマ目で彼は彼女に対して「わるい」と謝ってしまう。さらに、2コマ目のヒメの頭に浮かぶ「?」から読み取れるように、ヒメの方もナベの謝罪の言葉を理解できた様子はない。

図5. 言葉によっては意思疎通し合えないナベとヒメ(単行本2巻14ページ右3・4コマ目)

人間と動物は言葉によっては意思疎通ができない。しかし、両者の意思疎通が絶対に不可能かというと、決してそんなことはない。彼らはスキンシップによって意思疎通を行っているのだ。飼い主の手に優しく撫でられて安心する飼われ者たちは、本作の至る所にて描かれている。そして、作中の飼い主たちのうち、少なくともナベはこの事実を意識している。図6に示す、ヒメが病気で弱っている回において、ナベは「動物は言葉が通じないから せめてこの手で伝えるんだ」と、その手でヒメを撫でることによって彼女を安心させようとしている。この一本のタイトルが「温度から伝わる想い」であることからも、この一本がナベのそんな意識を見せる一本であることが伺える。

図6:スキンシップによりヒメに想いを伝えようとするナベ(単行本3巻107ページ左2・3コマ目)

4. 〈視点の詐術〉:〈人間の目〉に映る擬人化された動物の姿

さて、図6の2コマ目をもう一度見て欲しい。ここで擬人化された姿のヒメは誰の目に映ったヒメだろうか? ふたつのコマに連続するモノローグを解釈すれば、このヒメはナベの目に映ったヒメと読み取ることができよう。しかし、2.2.節にて既に述べたように、本作の人間は動物を擬人化された姿としては見ることができないはずである。

ここで議論したいことは、件のコマのヒメが「本当は誰の目に映っているのか」ということではない。読者は件のヒメが「誰の目に映ったように感じるか」ということである。これならば、読者は「〈人間の目〉=ナベだ」と答えることだろう。控え目に言っても「〈動物の目〉だ」と断定することはためらわれよう。しつこいようだが、本作の人間は動物を擬人化された姿としては見ることができないにもかかわらず、である!

〈人間の目〉には見えないはずの姿が見えているように見せかけるこの手法は〈視点の詐術〉とでも呼ぶべき手法であろう。そして――ここからが本論の本題なのだが――、本作の人間と動物が言葉ではなくスキンシップによって意思疎通を行う場面においては、この〈視点の詐術〉が頻繁に用いられているのである。

〈視点の詐術〉が用いられている重要なエピソードをふたつ見ていこう。ひとつは「たなばたとよーたとしろこ」である。このエピソードでは、七夕の準備をする陽太と彼の母、そして二人の様子を見ても何をしているのか理解できないしろこが描かれる。しろこは陽太に「あたしにもきちんと分かるように言いなさいよ」と迫るが、陽太はしろこの態度を「ごはん」だと解釈してしまっている。このような陽太の態度の結果として、しろこは直後の場面で「言葉が分からないと気持ちも分からないものなのかしら?」と漏らしている。この場面に続くのが図7である。これらは連続した2ページであり、1ページ目が見開き左側に、2ページ目が紙をめくって見開き右側に位置している。図の1ページ目ではしろこが陽太に向かってこれまでの不満を爆発させている。しかし彼女の言葉は陽太には伝わらない。彼の耳に聞こえてくるのは「ニャー」というしろこの鳴き声だけである。そして2ページ目では、言葉が伝わらないことに疲れ果てたしろこを陽太が優しく撫でる場面が描かれる。見下ろす視点から描かれるしろこ、見上げる視点から描かれる陽太、そして交互に映し出されるしろこと陽太から、2ページ目で擬人化されたしろこは、陽太の目に映っているように感じられるだろう。

図7. 〈視点の詐術〉:しろこと陽太の場合(単行本2巻 34-35ページ)

もうひとつの重要なエピソードは「くっきーのかこ」である。このエピソードでは、捨て犬だったくっきーが坂下兄妹に拾われたその日、彼らの家で過ごした嵐の夜を描いている。暗い部屋に一匹残されたくっきーは、風が木々や窓を揺らす音に脅え、ただじっと恐怖に耐えるも、遂には耐えきれずに鳴き(泣き?)出してしまう。その声を聞きつけたかのように明かりが点いて朝生が現れる場面が図8である。これらは見開きの右・左連続2ページである。1ページ目、朝生を見上げる1コマ目とくっきーを見下ろす2コマ目は、各コマの視点の高さと、両者がふたつのコマに交互に映っていることから、1コマ目がくっきーの視点、2コマ目が朝生の視点であると読み取れる。ここでも、やはり2コマ目では、人間である朝生の目に擬人化されたくっきーが映っているように感じられよう。そして続く2ページ目では、莉夕がくっきーを優しく撫でている。

図8. 〈視点の詐術〉:くっきーと坂下兄妹の場合(単行本3巻 68-69ページ)

これらがまさに〈視点の詐術〉による意思疎通の演出である。作者は、スキンシップの瞬間に人間が動物を人間の姿として見ている――私(=人間)は本当のあなた(=人間の姿をした動物)をちゃんと知っている――と読者に対して「見せかける」ことで、言葉によって隔てられていた人間と動物の意思がまさにスキンシップによって通じ合ったことを描こうとしているのだと、私は考える。

(※余談ではあるが、図8の2ページ目は「視界の重ね合わせ」という点でも興味深い。莉夕に撫でられることで、かつて優しくしてくれた飼い主と母を思い出すくっきーは、過去と今の光景を重ねている。そして続くコマで、作者は彼女の思い出の中の飼い主と母の姿を今の莉夕・朝生と位置的に重ねて描くことで、くっきーがかつての優しさに今また包まれたことを表現しようとしているのではないか。)

5. 関連作品

5.1. 神仙寺瑛「動物のおしゃべり♥」
 神仙寺瑛『動物のおしゃべり♥(1)』

この作品は、動物と会話ができる女の子・ミカちゃんの日常を描いたものである。この作品では、動物たちのある行動を擬人化された姿と本来の姿の両方で描き、その差異によっておかしみを生み出すということが頻繁に行われている。

「ヒメ」と「動物」の最も大きな違いは、限定されてはいるが、人間(=ミカちゃん)と動物が言葉によって意思疎通することができる点、そして人間(=ミカちゃん)が動物たちを擬人化された姿としても見ることができる点である。前述した差異によるおかしみが本作品の主要素だとすれば、ミカちゃんはその差異を理解し解説する存在として機能していると言ってもいいだろう。

「動物」では〈人間の目〉と〈動物の目〉の住み分け方が「ヒメ」とは異なり、〈動物の目〉あるいはミカちゃんの〈目〉が見たコマに〈人間の目〉が入ってしまっていることがあるため、「ヒメ」的な読み方をすると少なからぬ混乱を起こしてしまう。各コマが誰の〈目〉から見たものなのか意識して読む必要がある。

5.2. 大島弓子「綿の国星」
大島弓子『綿の国星(1)』

この作品は捨て猫として拾われ「チビ」と名付けられたメスの仔猫が、自身を拾ってくれた人間の少年・時夫に想いを寄せ、人間になりたいと願う姿を描いたものである。

「ヒメ」では動物たちが擬人化された姿としても動物の姿としても描かれているのに対し、「綿国」の動物たちは常に擬人化された姿として描かれている。そして「綿国」の人間の言動からは、人間たちの目には動物たちはまさに動物の姿としてしか映っていないようことも読みとれる。これはやや強引に解釈すれば、時夫とチビが決して意思疎通できないことを暗に示しているのではないかと考えられる。チビの自意識は「私は人間」であるが、時夫をはじめとする人間たちは「チビは猫」として扱っている。この意識の齟齬が「綿国」を悲恋物語たらしめており、飼い主と飼われ者が幸せな結末を迎える「ヒメ」とは趣を異にしている。

6. おわりに

この記事では「ちょこっとヒメ」における擬人化手法と、人間と動物の意思疎通描写の関わりを見てきた。作者は読者に見える動物たちの姿を巧みに操作することで、飼い主たちと飼われ者たちの日常を、時に可笑しく、時に感動的に描いている。

本作の最終話(単行本7巻収録)のクライマックスでは、人間と動物が言葉によって意思疎通できたかのような描写がある。これは物語を締めくくる場面だからこそ許される描写であろう。私にはこの場面で、作者は読者に対して「この作品のテーマは意思疎通だったのさ!」という答え合わせを、人間である読者にも分かりやすいように言葉を用いて行っているように思えてならない。

最後に、パーキッツ「ころ ころ ころり」の歌詞を引いてこの記事を締めたいと思う。エピソード「くっきーのかこ」の「Image Music」(単行本2巻77ページ)として作者が挙げ、優しい手の温もりを歌ったこの歌は、「ヒメ」で描かれたスキンシップと通じるものがあろう。

ころ ころ ころり まっすぐに

こころは いつも あなたの ほうへ

ころ ころ ころり たどりつく

あなたの手は きっと あったかい

パーキッツ「ころ ころ ころり」

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コメント

#605: Re: あなたの手は きっと あったかい ―― 「ちょこっとヒメ」における擬人化と意思疎通

  • bushinonasake619
  • (URL)
  • 2012年07月03日
  • 20時51分
  • 編集
「ちょこっとヒメ」買って読みます

説明ナイス

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