ぼくの4コマ記事が掲載されてます。ちょっ怖いですが、すーとぽてとさんのような詳しい人にご意見いただきたいなぁと思いますです http://bit.ly/TwieM
その内容や手法によって実は様々なタイプに分類することができる四コマ漫画。もちろん楽しみ方だって様々です。漫画研究家の泉信行氏が、最近フト感じた疑問、そして疑問を巡る振り返りから導きだした「ストーリー四コマ」の面白さとは……。鋭意の同人誌『漫画をめくる冒険』の著者が皆さんを「四コマ漫画をめくる冒険」にお連れします!!
名指しされたのでTwitterで反応しました。その補遺として,いずみのさんの記事に対する違和感を書き残します。以下,長いので続きに。なお,以下では,いずみのさんの記事からの引用は【スミ付きカッコ】で示します。
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違和感があったのは【単行本でも感じる『変化』のカタルシス】の節です。この節だけ「雑誌と単行本というメディアの差異」という観点が抜け落ちているように思います。
具体的な違和感ポイントは三点あります。一点目は節のタイトル【単行本でも感じる『変化』のカタルシス】(強調は引用者による)です。この「も」からは,いずみのさんが「雑誌だけではなく単行本でもカタルシスを感じる」という意味を込めたように読めます。しかし【それまでの出来事を全部忘れて】しまっている雑誌読者が,伏線どころか一話前の出来事も忘れてしまっている(あるいは知らない)雑誌読者が,カタルシスを感じるようには到底思えません。たとえ感じたとしても,それは雑誌一回掲載分の強さ程度の小さいものでしょう。これが「単行本だからこそ感じる『変化』のカタルシス」であればまだ納得できるのですが。
二点目は同じ節の後半にある以下の箇所です。
仮にヒロインの森田さんが、その無口さゆえに誤解を「どんどん深めて」いったり、まわりの好感が「どんどん増して」いくような構造で描かれていれば、縦軸のダイナミックさが生まれていたかもしれないけれど。
でもそれは作品の方向性の問題であって、優劣の問題ではないだろう。縦軸のダイナミズムそのものがほしくない、という嗜好だってあるはずだから。
【縦軸のダイナミズム】というのは,晴れシンで言えば【庶民出であることを隠そうとしているヒロインが、実は誰よりも本物らしいお嬢様であり、周囲の人々もその証人になっていく】という【変化】に相当するのでしょう。しかしそのダイナミズムは,私が上でも述べたように,雑誌ではなく単行本というメディアだからこそ,読者に強く伝わり,ゆえに読者に強く意識されるものです。
引用箇所のひとつめの段落では,そうした【縦軸のダイナミズム】を持つ(といずみのさんがおっしゃっている)晴れシンを基準にして森田さんについて述べています。この段階で,いずみのさんが単行本を基準にして論を進めており,雑誌の存在が見落とされていることが分かります。ふたつめの段落で【嗜好】という言葉を使ってはぐらかしていますが,真に論じられるべきは個々の読者の嗜好ではなく,雑誌と単行本というふたつのメディアの差異でしょう。
三点目は,この節より前と後では雑誌と単行本について触れているのに,この節だけなぜそれが抜け落ちてしまったのか,ということです。特に,私が違和感ポイント二点目で述べているように,なぜ雑誌という観点がごっそりなくなってしまったのでしょうか。他の節では【ぼくはふだん、あまり四コマ漫画を講読しない。四コマ専門誌も読まない。】【単行本だと「読みにくい」形式は、元々の掲載誌では「読みやすい」形式として働いていたはずだ】と留保や考察を入れているのに,なぜこの節には「雑誌と単行本というメディアの差異が作品の読みに与える影響については考察の余地がある」などの留保を入れなかったのでしょうか。いずみのさんは【個人的には『晴れのち』のほうが「当たり」だった】とおっしゃっているので,晴れシンについてポジティブに語りたい気持ちは分からなくはないですが,それは前述したような留保を伴わない限り,森田さんに対してフェアでないと思いました。
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以下は余談。最近WEBスナイパーが4コマ記事特集を連発しているのが気になりました(いずみのさんの記事もそのひとつですね)。
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