2010年07月の記事

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いつまでも続くような恋人関係の楽しさと安心感――来瀬ナオ『はるかぜ日和(1)』

来瀬ナオ『はるかぜ日和(1)』

元気中学生・村上太郎くん。この度めでたく、クラスメイトの森下吏南(りな)が彼女になりました。吏南はちょっとクールで素っ気無いところもあるけれど、太郎くんはそんなのお構いなく、吏南のことが元気に無邪気に大好きで。吏南は吏南でクールな裏側でちょっと恥ずかしがり屋だけど、元気な村上くんのことが好きで。そんな二人の日常を4コマ漫画と1ページ漫画で描いた作品。竹書房のWebコミック『まんがライフWIN』連載。

恋人同士だけど態度に温度差がある二人の様が楽しい作品である。なりたてホヤホヤの恋人とは思えないほど、太郎くんは吏南に対して賑やかに積極的だ。吏南に対する愛でもって猪突猛進し、オーバーなアクションで愛を表現する彼の姿には、若々しさと青さが感じられて実に可笑しい。他方、彼を受け止める吏南は恋人とは思えないほどクールに落ち着き払っている。それが彼との温度差を感じさせてくれてこれまた可笑しい。さらに、冷静な男友達・曽根崎くんと天真爛漫な女友達・笹山さんが、凸凹な二人に凹凸とぴったりマッチして、二人の楽しき日々を後押ししている。

そして、温度差はあるが、二人の恋人関係が揺れることなく続いていく様に安心する作品でもある。太郎くんは吏南がクールであることにも全く不安を抱かず、しかし彼女のさりげない愛をちゃんと受け止めている。吏南は太郎くんの元気な愛を時にそのクールさでスルーすることはあっても、決して無下にすることはなく、その元気さを感じ取って喜びとしている。不和もなく、ケンカもなく、友達という良き理解者にも支えられ、二人は仲良き恋人同士としての日々を紡いでいく。唯一、バレンタインデーのエピソードで太郎くんが吏南に対して誤解する場面があるが、その誤解もわずか次のページであっさりと解かれている。

そんな楽しさと安心感がいつまでも続いていくように感じられるのが、今作の最大の魅力だろう。楽しき日々の結果は二人の仲の良さとして刻まれる。その仲の良さに支えられて、次の楽しき日々が生まれる。両者がスパイラル的に働くことで、現在はもちろん、将来に渡っても、二人がいつまでも楽しく仲良き恋人同士でありつづけてくれることを感じさせてくれる。そこに「恋の儚さ」は全く感じられない。太郎くんの言葉を借りれば、「幹みたいにずっと」あり続ける恋がそこにあるのだ。

さて、作者の作品を評する上で欠かせない人物がいる。作者の姉であり、また作者同様に漫画家であるカザマアヤミだ。両者が姉妹であることは、カザマ作品の単行本あとがきにおける「妹」の姿(『ちょこっとヒメ(6)』が分かりやすい)と、この単行本の作者コメントに描かれている作者自画像を比較していただければ一目瞭然だろう。そして、両者の作品を比較すれば分かるように、絵のタッチはとても似ている。また、キャラのノリ、特にハイテンションなノリについても通じるところがある。

両者の作品にいくつかの共通点が見られるのは事実である。しかし、少なくとも男女恋愛もの、あるいはそれに準するものに関しては、両者の作品には決定的な違いが一点存在する。カザマ作品では、男女は恋人同士とはまだ呼べない状態から始まり、その仲を揺らがせなながら恋人という関係に向かっていく。それに対して作者作品では、男女の安定した関係が前提として与えられているのだ。今作では太郎くんと吏南が恋人になったところから物語が始まっている。そして、その関係は他者によっても、また二人自身によっても、作中で決して揺らぐことはない。

男女の安定した関係を作品の前提とすることで、二人のあらゆる言動は報われる。全ての言葉と全ての行動が、二人の幸せな日々の証として刻まれる。そこには相手や自分に対する不信や不安、あるいは二人の関係の崩壊といった悲劇は一切存在せず、また、将来におけるその存在の可能性を感じさせない。そのことがたまらなく心地よく、そして安心するのだ。この点は〈日常〉を描く4コマ漫画という観点から見ても親和性が非常に高い。

今作に限らず、作者の男女もの作品については同じことが言える。同人作品を挙げれば、幼なじみ同士の夏休みを描いた『眩夏モラトリアム』でも、クラスメイト同士のクリスマスの夜を描いた『ホーリィウォーキング』でも、そこにある男女の仲は決して揺らぐことはない。控えめに言っても、崩れることはない。そもそも今作も、元々は作者の同タイトルの同人作品である。ここから、作者自身がいかに安定した男女関係に指向しているかが分かるだろう。そして『はるかぜ日和』は、そんな作者作品の本質を楽しむ上で、またとない作品のひとつであるのだ。

いつまでも続くような恋人関係の楽しさと安心感。元気男子とクール女子の幸せな恋模様。今後も引き続き、二人の日々を追いかけていきたいと思う。

おとなり感想

周囲の視線を全く気にすることもなく、また衒いも恥じらいもなく、吏南大好き! でパタパタと近寄っていく村上君と、喜怒哀楽があんまり表に出ないクールな吏南さん。

性格は全然違う「動」と「静」のこの二人、お互いに補い合っていて実にお似合い。

棘叢庵漫録 初心い恋、微笑ましい恋愛。『はるかぜ日和』1巻

安定感と変動感は来瀬ナオのラブコメで同居する。つまりエロゲーに喩えるならばバッドエンドをけっして迎えることのないFD収録のアフターを前提としておきながら、当人たちにはルート分岐前のういういしくってこちらが声をあげて応援してあげたくなるような恋愛をさせる、という非常に画期的なパターンですねこれは?(バシーン、という音を鳴らして机を叩く)

コーラはおやつに入りません

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芳文社『まんがタイムファミリー』2010年4月号-9月号

放置のひどいブログです……。例によってまとめ読み。

ふじのはるか「はちみつカフェ」
ひろえさん襲来。戻ってきて欲しいと思う蜜、拒絶するおと先輩、心では拒んでもお腹は正直な蜂谷。結局、その料理の腕におと先輩は妥協してひろえさんを復職させるわけだけど、彼女ゆえにお店の人気が上がっていく様が私には悔しく感じられる。……と、ここまで書いて、自分は物語に相当のめり込んでるなーという事に気づいた。ひろえさんは一筋縄ではいかないキャラだなあ。
水谷フーカ「うのはな3姉妹」
8月号・9月号と巻頭カラー。表紙にも大きく載っている。9月号は一家で海へ。マイペースにはしゃぐ三姉妹と父は見ていて平和そのもの。中でも父のお茶目さがいい。砂で豆腐を作る表情や、バンザイをして布団に入る姿が、厳格キャラとのギャップを感じさせてくれて面白い。単行本1巻が10月7日に発売。
【ゲスト(4月号-6月号)→新連載(7月号)】梅川和実「となりの工学ガール」
男だらけの工科大ロボット工学科に通うカオルさんは女の子。ロボットの講座に入ろうとしたら女嫌いの先輩に大反対されて――。機械系女子の大学ものということで「講座クラッシャー」というひねくれた発想しか出てこないわけだけど、カオルさんは天然だし、島崎くんは軽いし、森山くんは女嫌いだし、他の男はモブだしってことで、その心配は杞憂に過ぎればいいと思った。工学ディテールは少なめ。カオルさんのロボ好きな日常で駆動させていくのかな。どうせならカオルさん高校生編もやりましょうよ。部活は当然ロボット部、制服はもちろんブレザーで。
【新連載(5月号)】遠山えま「ぽちゃぽちゃ水泳部」
トンカツ屋の娘・カツ代は食べるのが大好きなふとましい新女子高生。中学時代の憧れの鮫島先輩と同じ高校に入ったはいいが、彼はぽっちゃりさんには興味がないようでショック。ダイエットや下心のため、彼女は鮫島先輩と同じ水泳部に入るが――。鮫島先輩だけでなく、家族、幼なじみくん、大食い友達さん、水泳部の先輩たちと、それぞれに水泳やダイエットや鮫島先輩への恋に対するスタンスが異なる人々の中で、右往左往するカツ代が面白可笑しい。「ぽっちゃりさん」に対して良心的な点も安心できる。実は俺、スリムさんよりもぽっちゃりさんの方が好きなんだ……←
【最終回(5月号)】佐野妙「Smileすいーつ」
中津くんが塔子さんに告白したけど、塔子さんは「今は妹の方が大事だから」とはぐらかして。三年経って果歩が大学生になっても、姉妹ともまだゴールにはたどり着いてなくて。これは〈日常〉系4コマの最終回として特筆すべき形のひとつだ。誰が誰とも確固たる関係性を構築しないことによって、読者にいくつかのあり得る未来を想像させる(少なくとも私には姉妹ラブエンドと両者結婚エンドの2パターンが見えた)。そして、そのあやふやな未来に向かって、現在の〈日常〉がこれからも続いていくことを感じさせる。作品が終わっても、姉妹が互いを、また、それぞれの相方と好き合う今は終わらない、そんなことを感じさせてくれる最終回だった。
【新連載(6月号)】秋★枝「的中!青春100%」
「ワンシーン」の作者が今度は4コマでお目見え。弓道部に入りたい毛利くんと楠さん、弓道をしたり弓道具でお遊びしたりな先輩たち(全員女)、そんな日常。「毛利くんハーレムだね!」的要素ゼロで進む、ゆるくもテンポのいい会話とおふざけ弓道ネタが秀逸。ストーリー漫画のテンポを4コマに落とすとこうなるのかという感じ。おふざけネタだから弓道さっぱりな私でも楽しめていいね。的枠使ってロボ人間ごっこって部長……。キャラ的には楠さんが好き。白目の表情かわいいです。
【ゲスト(7月号-9月号)】佐野妙「小悪魔いもうと」
目次ページ4コマが本編にゲスト。小悪魔系な妹・理々子さんとシスコンだが報われない兄・大介くんの日常。両者の関係性がこの作者らしいな。しかし、キャラ見せは、これまでのように男子視点から女子を見せるのではなく、むしろその逆のように感じる。つまり、振り回す側=妹ではなく、振り回される側=兄を強くアピールしているように思える。確かに、笑顔ひとつ言葉ひとつで妹の思うように動いてしまい、しかし報われない兄は可笑しい。もてあそばれておりますなあ。でも本人は幸せそうだからそれでいいか。10月号から「小悪魔さん」と改題して連載化。

生物学的〈異端〉ゆえのひよこときんぎょの親子ドラマ――楠美マユラ『お母さんは水の中』

楠見マユラ『お母さんは水の中』

卵パックの卵から孵った「ひよこ」。最初に見たのは――金魚鉢の中の「きんぎょ」? こうして、お母さんだと刷り込まれたきんぎょを慕うひよこと、その姿に絆されてお母さんのように振る舞うきんぎょの日常をフルカラーの4コマで描く。イースト・プレスの動物漫画誌『ハムスペ』およびそのリニューアルである『あにスペ』にて掲載された表題作を収録。元々は作者の同人作品であるが、単行本に同人誌原稿は収録されていない。なお、『あにスペ』自体は2009年9月に休刊している。

きんぎょが陸上を移動できたり、動物同士が言葉でコミュニケーションしたり、動物たちが道具を使いこなせたりと、絵本のような動物ファンタジー感にあふれた作品。フルカラーで描かれた絵のタッチもどこか絵本的で優しい印象。中でも描き下ろしショートの色鉛筆タッチの絵は特筆で、穏やかに流れる時間を感じさせてくれる。

キャラに目を向ければ、何よりもひよこが微笑ましく可愛い。きんぎょの後ろを屈託なくぴよぴよとついていくひよこの姿は本当の子供のよう。キャラが飛び出す壊れたピアノでは音楽よりもキャラを飛ばして遊んだり、公園ではポールの回りをグルグル回るだけで楽しめたりと、型にはまらずに遊ぶ姿にも子供ながらの想像力を感じる。一方、最初こそ「お母さんじゃない」と言うも、それからはひよこをいつも気にかけているきんぎょの姿は本当の母のよう。公園で出会う他人に戸惑う人見知りなひよこを、優しく諭して勇気づけるきんぎょの姿には、母性を感じずにはいられない。

そう、ひよこときんぎょは、生き物としては子と親ではないにも関わらず、まさに〈子〉と〈親〉である。これを強く感じさせてくれるのがエピソード『おやすみひよこ』である。このエピソードでは、ひよこは自身の下半身が魚のようになり、これで「ずっときんぎょと泳げ」ると、きんぎょと一緒に水の中を泳ぐ夢を見る。私はその言葉に、ひよこが親離れできない子であること、きんぎょとずっと一緒にいたいのだということを思う。そしてひよこの魚の下半身は、二匹が親と子であることの〈証〉だと見る。しかし現実には、ひよこの下半身は魚のようにはなり得ない。ひよこときんぎょの間には生き物としての壁があるのだから。だからこそ、それを夢に見るひよこに、私は「現実で叶わないのならばせめて夢で叶ってほしい」、そして「叶ってよかった」という、祈りと救いにも似た感情が芽生えるのだ。そして、救いの感情とともに、「現実には〈証〉がないけど、二匹は確かに〈子〉と〈親〉なんだ」という想いが、私の中であふれてくるのだ。

今作の面白さの源を小難しく言えば、生物学的な〈異端〉を受け入れている点にある。私はひよこときんぎょだけを見た思いつきでこのようなことを言っているわけではない。今作にはまた、ニワトリになれない「ひよこのおっさん」が登場する。彼は若き日にはロケットを飛ばす夢に向かっていたが、その途中にとある事情で挫折してしまい、以来「何年たってもわしはひよこのまま」だと言う。私には、彼がニワトリになれずにひよこのままであるのは、彼が確かにひよこであった若き日の心の傷をまだひきずっていること、そして、ニワトリは空を飛べないという事実を受け入れたくないことを、その体でもって示しているように思うのだ。そんなトラウマが見え隠れするひよこのおっさんの一言ひとことには、ある種の哀愁が感じられて、事あるごとにその裏側にあるだろうドラマを感じずにはいられないのだ。

きんぎょとひよこも、そしてひよこのおっさんも、生物学的な〈異端〉である。〈異端〉であるからこそ、〈正統〉との差異が強く意識され、そこにドラマが生まれる。そして、彼ら〈異端〉を拒絶することなく受け入れているからこそ、何気ない日常の中にドラマが生まれるのだ。こういったドラマツルギーは、日常を積み重ねることによりドラマを生み出すストーリー4コマのそれとは毛色が異なるように思う。言わば〈異端〉キャラの〈異端〉性そのものにドラマを見出すということだ。その意味で、今作のドラマツルギーはデータベース的であると言わざるを得ない。すなわち、ニワトリの親でなくきんぎょの親とひよこの子にはどんなドラマが生まれるか、ニワトリの体ではなくひよこの体を持ったおっさんではどうか、という順列・組合せと〈異端〉性の選択、そして選択されたものの解釈こそが、今作のドラマツルギーの根源ということだ。特に今作では前者が単純であるため、後者が優れていたと言えよう。そしてそれは、ありていに言えば「作者のセンス」というところになるのだろうか。いずれにせよ、4コマ漫画における方法論として、今作のドラマツルギーは特筆に値するだろう。

生物学的な〈異端〉ゆえに見出される、ひよこときんぎょの親子ドラマ。そして〈異端〉を受け入れることにより支えられている日常性。一風変わった、しかしどこか正統派であるような親子もの日常4コマとして読んで頂きたい作品である。

謝辞

献本を頂きましたイースト・プレスの小林様に深く感謝申し上げます。また、同人時代から今作を描き続けてきた作者、および今作を支え続けてきた他の読者の皆様、そして関係者の皆様にも、厚く感謝いたします。

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